日本バプテスト 福岡城西キリスト教会

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城西教会に来られている方に、日常生活の中で感じておられることや、ご自身の信仰についての思いを寄稿していただいています。 ご質問やご意見がありましたら、牧師までお知らせください。
2013年6月

「バプテスマ信仰告白」      2012.04.22 NanbaGorou

  主よ、思い起こしてください、あなたのとこしえの憐れみと慈しみを。
私の若いときの罪と背きは思い起こさず、慈しみ深く御恵みのために、主よ、わたしを御心にとめてください。 (詩編25.6〜7)


私は今から丁度50年前の今日、東京練馬の向山教会で洗礼を受けたことがあります。
22歳の当時、私は自衛隊の新兵で近くの部隊にいて、そのまま自衛隊にとどまるか、大学へ復学するか迷っていました。
軍隊としての自衛隊の在り様について疑問がある一方で、自分の人生の在り様についても、「自分が生まれたことの意味など何もない、死ぬのは苦しいし、痛いのはイヤだから、生きているだけだ。握りつぶせばボロボロ落ちる田んぼの土のようなものだ。」とそう考えていました。
復学の準備のための、英語学校のバイブルクラスで澄田牧師と出会い、教会に行くようになりました。その教会に、後で連れ合いとなる筒井さんも下宿していました。
 彼女が、その教会では最初の受洗者として洗礼を受けることになりました。その日が近づいたころ、牧師から「君も一緒に洗礼を受けないか」と言われました。
教会に行ってから3か月程度の時でした。聖書の話を聞いたことも数回しかなく、礼拝にでたこともありませんでした。
 自衛隊で日曜の午前中に外出することは、赴任したばかりの最下級の隊員には無理なことを牧師も知っていました。そんな訳で礼拝に出席をすすめられたこともなく、讃美歌や祈りについても何も知りませんでした。
 すすめられたまさにその時は、人生に悩んでいた時でもありました。イエス・キリストという神様を自分の神様にすることは、それはそれで良いことだ、と思えたし、・・筒井さんと一緒に洗礼を受けるのは非常に嬉しいことでしたので、「いいですよ」と応えました。
 洗礼当日、「イエスの処女降誕は考えられない」と言ったところ、牧師夫人が「洗礼は無理だ」と言いました。しかし、澄田牧師が「歴史的イエスという考えも言われているから。」と答えて、そのまま洗礼を受けることになりました。
 滴礼の水の冷たさが頭にしみとおりました。
 牧師からは小型の新約聖書をいただきました。また牧師指導でゴルヴィツアー編集「バルト教会教義学」を買わされ、学習会が2,3回ありました。しかし、よく理解できる者がいなく自然消滅しました。
 丁度その頃、コンフォースの「史的唯物論」も紹介され、マルクス主義に出会いました。
そこに書かれていたことは私にとって、「長く続いている梅雨空が、一挙に晴れ渡った秋空に代わってしまったような」大きな衝撃でした。
 「何の意味も持っていない」と考えていた私の人生も、「人の幸せのために奉仕すること」で、意味のある人生に変わることが出来るということを知りました。
 その後、自衛隊の中で米軍基地撤去運動やマルクス主義教育活動などをしていることなどが知られ、・・・再契約が拒否され除隊となり、・・・鹿児島の大学に復学することにしました。
 除隊まで、彼女に会いに教会にはよく行きました。しかし、牧師も他のことで忙しく、礼拝や教会のミーティングなどに呼ばれることもほとんどないまま教会生活は終わりました。
 復学後は学生運動・大学生協運動にかかわり、共産党に入党し熱心な活動家になりました。
その中で、キリスト教はいわゆる「観念論」である、と考えるようになりました。活動・運動の中では、私達の目の前に、動的・具体的に生起する現在があります。・・それを正しく認識し、方針を立て、たたかいを指導するには、・・・むしろ弁証法的唯物論に徹するべきだと考えるようになりました。
 洗礼のあの「染み透る水の感覚」を忘れるべきだと考えるようになりました。意識的にその努力をし、活動のなかで、資本論をはじめマルクス・レーニン主義の本を真剣に読むようになっていきました。
 一方では、婚約している身でありながら、「テニス部の女性の短いスカート」がひどく気になる私は、『だれでも情欲をいだいて女を見る者は・・・(1954年改訳版マタイ5章28節)』と言われるキリスト教はとても自分には無理なのだと、真面目に考えていました。
 その後、国際共産主義運動の中で、当時の中国とソ連の、路線をめぐる論争がおき、日本の運動の内部でも、論争と闘争がおきました。私は平和の内に、革命的な権力の交代がおこなわれる可能性があるとは、考えられませんでした。そこで結局中国派の党に再入党し、そのため共産党を除名されました。その後は大学生協運動に関わってきました。
 大学生協運動も学生運動の影響で闘争と分裂のただ中にありました。混乱が続き、時間が経つうちに、一部の大学生協運動は、深刻な経営破産状態に陥りました。
 私の仕事は次第に、実質的に破産したこれらの生協を立て直すこと。労働モラルの喪失と内部分裂に加え、何年も続く低賃金にあえぐ生協職員の「仕事」と「生活」を再建することがメインとなりました。
 生協は、「皆が一人のために、一人が皆のために」という原則を掲げています。その下にありつつも、再建の過程では、生協といえども退職勧奨やパート化促進など、一部の人に苦しみを強いることをも含まざるを得ませんでした。
 また、これまでの活動を総括して、新たな方向を実行することは、経営の再建がなり、職員の生活保障が確立できたとしても、これまでのリーダーだった人をつらい立場に置くことになりました。また、私自身の「心」と「体」にも消えない思いと傷を残す日々になりました。(今ではあの日々と、この間の主の恵みに感謝しております。)
 国際共産主義の運動も、歴史上の2回目の壮大な実験として終わりました。私自らが経験し続けてきた運動で突き当たるものも、・・・自分を含む人間のどうしようもない弱さとわがままでした。確かに時代は進んでは来ているものの、一方では何千万人の人々が戦争で殺し合いを繰り返し、また数え切れぬ数の人々が今も飢えて死んでいます。・・・・「人とは何なのか」「人間には可能性があるのか」と考える毎日を過ごしてきました。
 これらの40数年が経つ中で、深刻な悩みを持つようになっていた時に、連れ合いがバプテイスト教会の神学校に通うことになりました。私は「キリスト教は連れ合いの命を2回救ってくれた」と考えていました。そういう訳でキリスト教には「命の借り」があると考えていましたので進学に積極的に賛成しました。
 神学校の授業内容や教会の出来事について、様々なことを話し合いました。その中で、キリスト教の中に、・・自分の悩みに向き合う上での手掛かりになるものがあると考えるようになりました。
キリスト教からは離れたつもりでいました。しかし、「イエス・キリストという人」が人間について何を言っているのか、と考え、そこから田川健三氏の「イエスという男」を読んでみました。3年ほど前のことです。
 これは衝撃的な本でした。2,3回繰り返して読むうちに田川健三氏の依拠するマルコ福音書を読む必要を感じました。そして田川氏の釈義を参考にマルコ福音書をまた何回か読みました。
 この中でマルコ福音書は、同氏の釈義から離れ、自分の「身と心」で読んでみなければならない本だと感じるようになりました。
 マルコという人が、命を懸けて伝えたいと言っていることは何なのか、読み取ることが求められていると感じ、何かがつかめるまで、「読書百遍」、繰り返し読んでやろうと決心しました。
 何かがわかった気がするようになったのは、50回を超えたころでした。その頃は他の福音書やパウロ書簡なども何回か読んでおりましたが、「イエス・キリストは人であったかもしれないが神でもあった」と考えるようになっていました。
 「イエス・キリストは苦しんでいる人のために荒野から下り、苦しんでいる人、差別されている人々の中で、その人々と共に生活し、力を尽くし助け・救い、これらの人々を贖うために十字架の死を迎え、復活して、今も人々の中に生きており、再び神の子として再臨する」とマルコは伝えていること、このことは真実であると感じるようになっていました。
 今日まで、「私に残された時間はもう長くはないのだから」と考えながら、聖書・キリスト教に関する本、カラマーゾフの兄弟なども含め読んできました。しかし、その中で、いつもマルコ福音書の声が私の中で絶えず語りかけていましたし、今も語り続けています。
 神様も創造の時、アダムとイヴの二人の人間を創られました。結局人は一人では存在できないし、存在しないものである。イエス様も弟子を招かれ、人々の中で生きられました。キリスト教とキリスト教神学も教会にあると考え、「バルト神学入門」に導かれ教会に出ました。
 昨年11月5日、その1週間前頃から、読んでいた神学者バルトのテキストが遠くから聞こえる日々が続きました。そして、なんとなく空しい感じが続いていた時、仕事からの帰りの車の中で、突然、『右を見、左を見て、ぐずぐずと戸惑い、何をしているのか』という言葉と『決断』という言葉が頭の中に湧き上がりました。
 私はその「言葉」はなにを意味しているのか考え、探り、・・・“マルクス主義を最終的に脱ぐことを求められているのだ”と感じ取り、その言葉に従うことに決めました。
今ではあの「言葉」は、それだけではなく、『主イエス・キリストを着なさい。』そして、『主に従いなさい。』という声でもあったのだと思い至っています。
 教会でも、人は悩み、嫉み、苦しみが止むこともなく、また、愛し合おうと努力しつつ共に生きているのが現実だとしても、・・・・教会にはイエス・キリストがおられ、その下で共に生きることを通じてのみ、人は人として生きられると考えるようになりました。
 毎週教会へ行くようになり、そこに行かなければイエス・キリストのことも神様のことも、本当に自分のこととして理解できないと分かるようになりました。そして「命を差し出す者でもあり、支配するものでもある」という主を信じ、「主の晩餐」にあずかることが出来るようになりました。
 人は己を頼る限り、限られた命の中にあり、自分の力で何かをなしうる存在ではないこと。イエス様につながり信じ従い、その霊の助けと導きにより生きるときにのみ、「人に仕える者」としても生きることが出来るのだと、信じるようになりました。
 イエス様が全き人としての手本であり、イエス様がなされたように、具体的に人に仕えることを求めずして、神に仕えることはできないと考えています。
 また、イエス様に頼り、「この人を助けてください」、「私を援助してください」と一人で、祈ることができるようになりました。
 今は、生来消えることのなかった、あの絶えて離れることのなかった虚無感「結局人は一人で生き、一人で死ぬ者。」「燃やされて何カロリーかの熱量になってすべてが終わる。」というあの思いもいつの間にか消え、どこを探しても見出せなくなっています。『「この世の神なき束縛」から脱した、「神の下での自由」』とはこのようなことを言っているのだろうかと考えています。
 また今は、この教会で皆さんとともにいる幸せを感じています。
 “人は人の力で、神から離れて生きることが出来るし、それが正しい生き方だと信じて、・・・すなわち自分を含む人間を「神」として、主イエスに一度は背いた私”を、そして“「背き続けながら」日々生きている私”を、イエス様が許してくださっている、と信じています。
 どうか、皆さんのご承認が得られて、この教会の一員となれるようにと心から願っています。

お祈りいたします。
 天にまします神様、
 この私の願いをどうぞお聞き届けください。私をあなたの下にある者としてください。
主によって、自分を愛することのできる者としてくださり、あなたの下での解放に導いてくださったことを心から感謝いたします。
 あなたは「私の今」を新しい生命と取り替えてくださり、「次の時」の希望をも与えてくださいました。
私が、あなたに背いているときにさえ、あなたは私と共にいてくださったことを思い、今もここにいてくださることに感謝いたします。生きている時も死ののちも、私はあなたのものです。
 私が、あなたに愛されていることをいつも覚えていることが出来るようにしてください。
 あなたに愛されている者として、おだやかな心と、謙虚な思いを持って歩むことが出来ますようにしてください。
 そして、私がいつもあなたを心から愛する者となれるように、導いてください。
 主よ
 恵みにより、私を「主を信じ、従い、主への約束を守る者」に育ててください。
 御心なら、この教会の皆様と共に生きるものにしてください。また、まだイエス・キリストを知らされていない世の人々と共に生きるものにしてください。
 主よ
 この世から飢えて死ぬ人をなくしてください。戦争をなくしてください。戦争へつながる動きを止めてください。そのための道を私たちにお示しください。・・・私達に行動する力と希望をお与えください。
この祈りを主イエス・キリストのみ名を通してお祈りいたします。  アーメン