ドイツの古都ワイマールでシンポジウムがありました。
明治時代に宣教師をアジアへ派遣し、キリスト教会を中心に文化的にも日本に大きな影響を与えた東アジア宣教会が、120年前此処に
設立されたことを記念するものです。
開会挨拶にワイマール市長が立つなど、記念のお祭りの要素もありましたが、神学的、歴史的な講演と討論が中心でした。
130名近い参加者による熱心な議論により、あっという間に4日間のシンポジウムは終りました。
二日目に私もこの宣教会の日本における影響史について講演しました。
明治時代の日本は、近代化の手本として、ドイツから政治、憲法、軍事、医学をはじめとする諸学問等、多くを学んでいましたので、
この宣教会も各方面から尊敬をもって歓迎されていました。
しかし反面、ビスマルク時代のこの宣教会は、自身が国家と宗教の癒着の上に立っていたため、日本のキリスト教の多くが国家主義的な
道を歩むのに力を貸すことにもなりました。
このような批判的な評価を含む私の講演も好意的に受け止められたのは嬉しい事でした。
さて、ワイマールは文化の街です。ゲーテは此処で文学者として「ファウスト」等数々の名作を執筆しました。
その他、ワイマール公国の大臣として、科学者として、宮廷劇場の総監督として働き、又たくさんの恋もしました。
シラーも此処で執筆し、ゲーテと親交を結び、文芸雑誌を共同編集しました。ヘルダーも友人ゲーテの呼びかけに応じて、
文芸批評家、牧師としてこの地で働きました。
彼の教会の祭壇には当時のままクラナッハの聖画が飾られています。
これらの著名人達を訪ねて、多くの文化人がやってきたそうです。この街は人間精神の輝きが感じ取られる街です。
今回はこの町の中心部にひっそりと残されているゲシュタポ・ケラー(秘密警察の地下室)をも見学しました。
ナチス時代にユダヤ人や反政府主義者を逮捕・拷問し、強制収容所へ搬出した施設の跡です。
当時の文書のコピーが資料として展示されていました。ユダヤ人女性と親密な交際をしていたある婦人に対して、
「今後も交際を続けるなら強制収容所へおくられるであろう」という警察からの警告書もありました。
「今後は交際しません」という、その婦人の誓約文も載せてありました。
そしてワイマール郊外にはブーヘンヴァルト強制収容所があります。以前見学したことを思い出し、重い気持ちで地下室を後にしました。
この町は、人間精神の暗黒を感じさせる所でもあります。
人間精神の働きの輝かしさと暗黒とを感じさせるこの街に、ヘルダーの友人で詩人のファルクがいた。
詩は気持ちを和ませます。彼はナポレオン遠征による戦争孤児たちを引き取り、孤児院を開いたのです。高名な詩人にはなりませんでしたが、
生涯孤児たちを世話し、共に神を賛美しました。
「いざうたえ、いざいわえ、うれしきこのよい」というクリスマスの歌はその一つです。落葉が始まり、ワイマールの秋は深まろうとしていました。(2004年11月)
(2004年8月”西南の風” 寺園喜基)
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