日本バプテスト 福岡城西キリスト教会

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寺園喜基寄稿シリーズNo.5

このページは当教会の協力牧師である、前西南学院院長 寺園喜基師が、 「西南の風」に掲載された随想から連載します。

苦難に立ち向かう能力とビジョン

―日本キリスト教社会福祉学会・特別講演、2007年6月― 寺園喜基 師 

はじめに
 ただいま紹介を頂きました寺園でございます。日本キリスト教社会福祉学会を西南学院で開いて下さいまして、本当にありがとうございます。しかもこの学会におきまして、講演をするようにという事でございますが、大変もったいない事だと畏れ多くも引き受けさせていただきました。
 この題ですけれども、「苦難に立ち向かう能力とビジョン」は,賀戸先生を通して実行委員会の先生方からいただいた題でございます。試験問題を与えられ生徒のようなつもりで、私はこの題を与えられて以来、考えてまいりました。
そういうことですので、御一緒に学びをするという意味でお話をさせていただきたいと思います。
 2003年に久山療育園の川野先生や宮崎先生を中心に関係者の方々と、勉強会の結果として本を出版しました。「ひびきあういのち」というタイトルで、サブタイトルとして「障害者神学への道」という題をつけましたけれども、新教出版からだしました。
 それもあって私も福祉の問題、障がいの問題、苦難の問題を少しばかり学ばせて頂きましたが、それも私の学びの材料になっているかなと思っております。
 前もって頂きました資料に、この学会に立場の表明が、キリスト教社会福祉学会の研究史の第39号に載っております「学会表明2004」です。その中に「苦難と希望、変革と主体」という小さな見出しの項目がございます。そこにこう書かれております。
 キリストにおける具体的な形が、苦難を希望から分離できないように、社会福祉実践もまた、苦難と希望を分離することはできない。福祉の対象者も従事者も、苦難の中に生きる。苦難の多い、しかし希望によって苦難を超え、希望の光によって苦難を交わりの創造の力とする。
希望は苦難の中で、社会福祉実践に終末論的な性格を与える。そういう言葉がございます。そして少し飛びまして、希望は歴史実現を開く変革のエートスである。希望を知る者は苦難の現実を既に超えて歩みつつ、完成され新しくされた現実を将来に待ち望む。
 そういう言葉でございます。私はこの言葉に非常に感銘を受けました。そして私のお話することは、この言葉についてのほんの小さなコメントにすぎないのではないか、と思っております。
それで私はレジメにあります通り、3つにことを中心にお話しさせていただきたいと思います。

一、苦しむ能力・・苦難についての宗教の二つの態度
 最初の章に、「苦しむ能力」という題をつけさせて頂きました。苦しみ、苦難ということについて、二つの宗教的態度があるのではないかと思います。
一つは、苦しまない能力こそが大切であって、宗教は、あるいはある宗教を信じる事は、苦しまない能力、苦しみから避ける能力を与える、と考える宗教があると思います。それは何教,何宗というのではなくて、キリスト教の中にもそういう捉え方があると思います。
 他の一つは、これはキリスト教、特に十字架を、十字架の神学を基としているもので、苦しむ能力が信仰の賜物だという捉え方があると思います。まずその事からお話をしたいと思います。
@信仰の賜物としての「苦しまない能力」
 普通、これは宗教学で一般的にいうことですけれども、御利益宗教、苦しい時の神頼み、という事がよくいわれます。苦しいから神様におすがりする、信心をする。占いをしたり、おまじないをしたりする。
 新宗教の捉え方として、貧困と病気と争いからの救い。「貧・病・争からの救い」ということを申します。そして貧・病・争から救われ、あるいは貧・病・争にかからないように信心をする、というのであります。
 例えば、明治の頃の新宗教の代表は天理教ですけれども、「病気や争いからの救い」ということを中山みきさんは強調しました。また第二次大戦後の創価学会は、特に「貧」からの救いということを強調いたしました。
 南無妙法蓮華経を唱えれば、お金が沢山金庫の中に貯まり、庭の前には自家用車が並んでいるようなそういう生活が出来るから、そしてそれは来世のことではなく現世において出来るから、法蓮華経を唱えなさいと。
 第三代の会長になった池田大作氏は当時、そういう説教をしたのであります。
 あるいは1980年代90年代になりまして、オウム真理教はすべて物質的に満ち足りた時代で、なお何か足りないということで、生きがいを求めながらあえて断食や苦行をして解脱する、という事を唱えました。
 そしてその解脱は自分が光になる、光を見た、あるいは光と一体となったという肉体的な経験として表現され、それを持って解脱と言いました。この運動が進むにつれて、解脱の表現としての光の体験を得るために、薬物を用いるようになったのであります。
 ともあれ、日本近代の新宗教運動、そしてオウム真理教などの新・新宗教などを見てみますと、貧・病・争、あるいは生き甲斐のなさ、そういう事からの救い、そういうことにかからないような救いを求めたと思います。
 それはそれで悪くはない。キリスト教でも、「神様おなかがすきました。食べる物をください」と祈ります。イエスも主の祈りで、そう祈れと言っておられます。
 貧・病・争からの救い、それはキリスト教も言うでしょう。ただしかし、キリスト教のメッセージと新宗教のメッセージの違いは、私の願望を先立てて、それを実現することだけを第一にするのか、それはおまじないなのですが、それとも神の意思を問い、求める「祈り」なのか、この違いだと思います。
 「まじない」とは、私達が願望を持っていて、それの実現のために超越的な力、宗教を持ちだしてきて、そしてそれを願望実現の手段とする、という事が出来ます。
 それにたいして「祈り」は、私達はなんでも祈っていい。しかしそれを実現してくださるのは神の意思だ。だからイエスがゲッセマネで祈られたように、「この杯をどうか除いてください、取り除けてください。しかし私の思いではなくて、神様の御心(みこころ)を行って下さい。
アッバ父よ」そう祈ります。
 祈りはまじないと決定的に違うのであります。
 まじないの典型的なのが、今梅雨の季節に入りまして思ったんですけれども、「照る照る坊主の歌」です。♪照る照る坊主、照る坊主・・なんとも可愛らしい歌ですけれども、その願いが叶って天気になると、甘茶を上げよう。
しかし三節を御存じでしょうか。それでも天気にならないと、「♪お前の首をチョンと切るぞ」。これは可愛いというよりも、ひじょうに残酷な歌であります。「まじない」は基本的にそういうことろがあるでしょう。
 「祈り」は願うのは自由ですけれども、しかしそれを成就するのは神様の御心であって、私のせいではない。そこのところが決定的に違うと思います。
 こういう風に考えますと、御利益宗教や幸福宗教といわれるもの、あるいはキリスト教の中でも時々見られる幸福宗教的な教えというのは、信仰の賜物として苦しまない能力を教える。苦しまない能力を保障するものであります。
Aキリスト教における「苦しむ能力」
 それに対して、積極的な意味でのキリスト教のメッセージは、苦しみや苦難について「苦しむ能力」を教えていると思います。パウロの言葉の中に、ローマの信徒への手紙の5章の2節ですけれども、「苦難を誇りとします」と言われています。
 苦難をうけたことを自分は誇る、というわけです。苦難を、罰があたったとか、裁きの結果だとかはとらない。パウロは苦難を誇りとします。
 この訳は新共同訳ですけれども、それ以前の協会訳では「艱難をもよろこんでいる」、と言われております。
 さらにパウロから学んでみましょう。コリントの信徒への手紙では、パウロはある論敵達と敵対しておりました。それはいろんな言い方があるかもしれませんが、アポロとその一派の「栄光の神学」といわれるグループで、パウロの「十字架の神学」に対立するものであったといわれています。
 栄光の神学とは、キリスト者になると、自由な栄光に満ちた、この世のあらゆる束縛から解き放たれた自由な生き方が出来ると、一方的に強調する神学であります。そしてもう自分達は救われてしまった、もう自分達は自由だ、強い、という意識で生きたのです。
 それに対してパウロは、あえて十字架を誇る。十字架に従う者として艱難を喜ぶ、そういうのであります。
 聖書をちょっと見てみますと、「コリントの信徒への手紙」第一の4章8節に、パウロはこういう風に言っています。
 あなた方は既に満足し、すでに大金持ちになっており、私達を抜きにしてかってに王様になっています。いや、zっさい王様になっていてくれたらと思います。そうしたら私もあなた方と一緒に王様になれたはずですから。
 ここで「あなた方」と言われているのはパウロの論敵達のことで、この人達はすでに信仰において満足している。すでに大金持ちになっている。かってに王様になっている。そう言ってパウロは批判するのであります。
 それに対してパウロはキリストの十字架につける者として、むしろ逆の生き方を選ぶというわけです。
「コリントの信徒への手紙」第一の手紙の4章の10節以下に、こうパウロは書きます。
 私達はキリストの為に愚か者となっているが、あなた方はキリストを信じて賢いものとなっています。私達は弱いが、あなた方は強い。あなた方は尊敬されているが、私達は侮辱されています。
 今の今まで私達は飢え、乾き、着るものなく虐待され、身を寄せる所もなく、苦労して自分の手で稼いでいます。侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、罵られては優しい言葉を帰しています。今に至るまで、私達は世のくず、すべてのもののカスとされています。
 パウロはこの言葉でもって別にひがんでいるわけふぁない。むしろ、十字架に従う者として、敢えて賢い者ではなくて愚かな者となる。強いものにならないで弱い。尊敬されている者にならないで侮辱されている。そういう事を、一般に世の人は世のクズ、全ての者のカスとしている。
 しかしパウロは、それをむしろ誇る、と言うのであります。
 あるいは、もうちょっと聖書にこだわりますと、同じ「コリントの信徒への手紙」第一の6章の12節に、こういう言葉もあります。「私には全ての事が許されている。」こう栄光の神学の一派が言います。これはカッコで括ってあるんですけど、「私には全ての事が許されている」この言葉をパウロは切り返します。
 「しかし全ての事が許されているわけではない。」あるいはまた敵対者は、「私には全ての事が許されている」というと、さらにパウロは「しかし、私は何事にも支配されていない。」そういうふうに論敵達が、全てが許されている、全てが自由だということに対して、パウロはすべてが自由なわけではない、神の為に僕となって生きる事こそが自由何だ、というこ戸を誇るのであります。
そして決定的に、パウロは自分が誇る事をさらにコリント の信徒への第二の手紙の11章のところで、こういうふうにも言います。
 誰かが何かの事であえて誇ろうとするなら、私も敢えて誇ろう。愚か者になったつもりで言いますが、敢えて誇ろう。そういうふうに自分は誇りのリストをここで書きます。
 その誇りのリストは何かというと、苦労したことはずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目にあったのもたびたびでした。
 ユダヤ人から40に一つ足りない鞭を受けたことが五度、鞭で打たれた事が三度、石を投げつけられたことが一度,難船したことが三度、一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難,同朋の難、異邦人の難、町での難、荒野での難、海上の難、にせ兄弟達からの難に遭い、苦労し,骨折って、しばしば眠らずにすごし、飢え、乾き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。
 これがパウロの誇りでありました。そしてパウロは苦しみ、苦難ということを一つの神の賜物として、そして苦しむこと、受難という事を、賜物を受けた私達の能力として、語っているのではないか。
そしてそれが聖書のキリスト教の私達へのメッセージじゃないのかな。そういうふうに思うのであります。
 このようにして、苦難が私達の苦しむ能力であるならば、その根底にはパウロの場合に見ましたように、キリストの十字架、神の苦難という事があるといわなくてはいけない。では、その神の苦しみということをどう理解するか。

ニ、キリスト論のテーマとしての「苦しむ神」
 ここで少し神学的な議論になりますが、苦しむ神、あるいは神の苦しみについて触れてみたいと思います。
 苦しむ神については、キリストにおいて何が起こり、キリストがどういう生き方、死に方,そして甦りをしたかということを見る事によって、私達は知る事が出来ると思います。
 少し結論を先取りした言い方でいえば、社会福祉の神学があるとするならば、その神学は創造論に基礎付けるべきではなくて、キリスト論に基礎づけられるべきではないのかと私は思います。
 もしも社会福祉の神学や障がい者の神学が、創造論に基礎づけられるなら、その様な神学は神の善き創造という事から出発するわけでしょうが、神の善き創造ということをベースにして福祉の問題や障がいや苦難の問題を考えると、障がい者は神の失敗作か、という疑問が出てくるのであります。
 私は、ひじょうに飛躍した言い方かもしれませんが、創造論から語る神学は、差別を生みだす神学だと思います。それに対して、もしも社会福祉の神学や障害者の神学というものがあるとすれば、それはキリスト論から、つまりキリストの十字架と復活から基礎付けられるべきではないのか、と思います。
@「哲学者の神」
 近代の思想家のブレーズ・パスカルは、有名な覚書を残しました。それは彼の死後、上着に縫いこまれていたのが発見されて『パンセ』に載せられて居ります。
 そのパスカルの覚書はこういう文章です。
 恩寵の年、1654年日曜日、11月23日。殉教録による教皇殉教者聖クレメンス及び他の人々の日。殉教者聖クリソゴノス及び他の人々の日の前夜。およそ夜9時半よりおよそ0時半頃まで。火、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、哲学者や学者達の神ではない。確かさ、確かさ、感得、喜び、平安。イエスキリストの神、私の神にして、我々の神。
 このような言葉です。哲学者や学者達の神ではない。哲学者アリストテレスや神学者トマス・アクィナスのいう神ではない。そうではなくて、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、イエスキリストの神。その神こそ、私の神にして、我々の神。
 パスカルはこの夜に一つの神秘的な体験をしたのでしょう。その時の核心の言葉であります。
 哲学・形而上学の神は、苦しむ事ができない。その神は、存在の根源あるいは究極的存在、また第一原理の事である。その様な神は、歴史の神ではない。生成する、運動する神ではない。
 形而上学にとって、運動は不完全であります。運動する神は不完全な神、ということになります。しかし、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神は、歴史の中でイスラエルと共に生き、苦しみ、喜ぶ神です。イエスキリストの神は十字架と復活の神であります。
 ルターは宗教改革以来、哲学から神学を解放し、キリスト論を、キリストの十字架と復活を神学の主たるテーマとしたと思います。そして人間イエスの苦しみを神の苦しみとして、人間イエスが十字架につけられてことを神の苦難として、私達に教えていると思います。
A苦しまない神について
 その様な十字架における苦しみ神の教えに対して、苦しまない神を考えている考え方があります。
 一つ考えますのは、私の先生の、滝沢克己先生の場合です。滝沢克己先生は西田幾太郎の哲学に出会い、そのあとカール・バルトに1930年代にドイツで出会い、そしてバルト神学と西田哲学を融合する形で、独特の思想を展開されました。
そして「全ての人間存在の根源には、神が共に生きるという、そういう根源的な規定がある」ということを教えてくださいました。それは大変喜ばしいメッセージであります。
 その喜ばしいメッセージを具体的に活きて見せたのが、滝沢先生によれば人間イエスでありました。人間イエスが来たから、「かみともにいます」・インマヌエルという規定が起こったのではなくて、すでに創造の初めからあった神ともにいますという規定は、旧約聖書においては十分生きられなかったけれども、イエスにおいて十全的に生きられた・言の意味でイエスは完全な人間、完全な徴である、と考えられております。
 ではイエスの十字架とは何か、復活とは何かといいますと、滝沢先生の場合には、十字架とは、神に従って完全に活きた人間が、この世の中で被らざるを得なかった一つの悲劇を意味します。
 そして復活とは、さまざまな、徴なしでも、人間イエスなしでも、インマヌエルの事実は生きているという、その根源的な事実の自己証明だ、そういうふうに教えられるのであります。
 それはそれで興味ある主張ですけれど、しかし「神の苦しみ」というのは、滝沢先生の場合は、神ご自身が歴史の中で苦しむということは考えられないのではないかと思います。
 神は、インマヌエルの神は、根源的な事実として歴史の限界にあるのであって、歴史の中に入ってくるものは全て徴にすぎません。
 人間イエスについてもそうです。そう考えますから、神が歴史のこちら側で受肉、苦難するということは考えられません。
 私は滝沢先生の場合だけを上げましたけれども、キリスト教神学をイエス論だけで述べようとする多くの聖書学者は「人間イエス」については苦難を語っても、そこには神の苦難はないのではないでしょうか。
 神は歴史の後方にいるままではないのか。だから、これも非常に極端な言い方をすれば、人間イエス論者は人間論者ではあっても、神について語っていない、と思うのであります。
 二つ目に考えたいのは北森嘉蔵氏についてです。北森氏は非常に感動的な仕方で、神の痛みを語ります。それはある意味で、苦しまない神ではなくて、苦しむ神の語りであります。 それは素晴らしい事です。北森先生はこういう文章を「神の痛みの神学」の中に書かれますが、ちょっと引用しますと、「我々は神の御心をつぶさに知り、神の深き所まで極め、福音の心を洞察せねばならぬ。」
 ではその福音の心とは何かというと、彼は記します。「私にはこの福音の心は、神の痛みとして示された。」福音の心は神の痛みとして示された。そう語られるのであります。
 そして「ギリシア人の心は神の痛みを見る目に欠けていたし、ギリシア哲学・形而上学に影響されたキリスト教神学も、この神の痛みを忘れている。すなわち苦難の神を語ろうとしていない」と批判されるのであります。
 それは素晴らしいことだと思います。
 しかしなgら、この「神の痛み」というのを説明するに先生は、日本語の「辛さ」という言葉で置き換えられます。辛さというのは、他者を愛して生かすために、自己を苦しめ、死なしめ、もしくは自己の愛する子を苦しめ死な占める、ということです。
 そしてその例として、浄瑠璃の「寺小屋」を引き合いにだされまして、「敵の手から君主の子供を救うために、自分の子供を身代わりに殺させる主人公の辛さ」で説明するのであります。
この主人公、松王丸は君主に仕える忠良なる家臣として、自分の息子を犠牲として殺させ
る。「女房喜べ、せがれはお役に立ったぞ。」そうその主人公は言って、辛い気持ちを表現するというのであります。
 私は、神の痛みということと、それについての辛さという解釈の中に、北森氏の中に大きなギャップがあるのではないかと思います。辛さというのは、ここでは父親の君主への忠誠心を語っているにすぎないのであって、いわば中世的な封建主義的な忠誠心を語っているにすぎないのであって、殺されゆく子の痛みということは、もう少し徹底して言われるべきではないのか。
 辛さと痛みというのは、果たして十分機能しているのか。だから北森神学において、神の痛みはどこまで徹底して十字架の神学なのかという事を、疑問に思うのであります。
 私はこういうことを考えておりました時、皆さまの学会誌「キリスト教社会福祉学研究」第39号で、岡山幸太郎先生の文章に出会ってハッとさせられました。
 こういう文章です。岡山先生は北森氏はバルトの名前を挙げられますけれども、北森先生の事をどう意識しておられるかわかりませんが、私なりに次の文章に惹かれました。
 現代では、今ここでより一層重要な事は、「わが腹痛む」は、ただ単に心的悲痛の表現にとどまらず、さらに人間の弱さに対する看過し得ざる有効射程としての心的創造力である。神が人間の弱さを自ら引き受け、ご自身のも野とされたことにより、今や人の弱さは神聖を帯び、触発する創造力を持った聖性を通して他者に働きかけていくという事実である。
という文章であります。
 「わが腹痛む」これは明らかに北森氏の言葉ですが、これはただ単に心的悲痛の表現じゃないのかと、そう言っているように私は思います。そして私もそれに同感します。心的悲痛の表現ではなくて、痛む神ご自身の創造力、創造的な力、その点で私は北森先生にまだ不徹底な点があるように思うわけです。
B十字架における苦しむ神
 では私は苦しむ神、十字架において苦しむ神ということを何処から多く学ぶかというと、ボンヘッファーやカール・バルトの神学においてであります。
 ボンヘッファーのキリスト論、これはベルリン大学でした講義録ですが、これを見ますとキリスト論の中心というのは、「真の神が真の人として生きたそのキリストが、ご自身を卑下されて、卑しくされて、罪と死の世に中に入っていく、そこに苦しむ神が居られる。」そういうのであります。
その中心になる文章を読んでみます。
 卑下においてキリストは自分から、罪と死の世の中に入って行くのである。彼は世の中で弱さの中に自己を隠し、自分が神・人であることを決して人の見せびらかしたりしないような具合に、世の中に入っていく。
 彼は神の形という王者の衣を纏ったりはしていない。このような姿の神・人としての彼が持ちだす要求は、矛盾と敵対を触発せずにはおかない。
 彼は微行の姿であらゆる人々の内最もみすぼらしい乞食、最も排斥された者、最も深く絶望したもの、もっとも痛ましく死んだものとしてやってくる。彼はまた、罪人の中の罪人として、だが、最大の罪びと(ルター)として、罪人の中の罪なきものとして入っていく。ここに中心がある。そういうのであります。
 そしてその事を端的にカール・バルトは「ゴルゴダの最も深い闇においてこそ、この上もなく父なる神と一つになるという栄光の中に生きたまう。あの神に棄てられた状態においてこそ、神に直接愛された人間でありたまう」と述べます。
 これがバルトの和解論の中心的な命題だと思います。イエスはゴルゴダの最も深い闇においてこそ、其の上もなく、父なる神と一つになるという栄光の中に生きたまう。
 あの神に棄てられた状態においてこそ、神に直接愛せられた人間であり給う。
 時間の都合でバルトやボンヘッファーの神学を展開することはできませんけれども、十字架において神は苦しまれた。子なる神は殺され、父なる神は共に苦しまれた。そして、十字架の悲惨こそが、神の栄光だった。そうバルトは言うのであります。そして、十字架の悲惨こそが神の栄光だった、そうバルトは言うのであります。そしてその視点は、復活の光からなのであります。神が苦しむということに、そして神が苦しむ事が出来たし、現実に苦しまれた。それを通して復活が出来事となった。
其のキリストの出来事としての苦しむ神から、私達も苦難を見る視点が開かれて来るのではないでしょうか。苦難を通して神に至るのではなくて、神を通して苦難に至る。このキリストの出来事から、福祉の神学とか障害の神学というものは始まるべきではないのか、と思います。

三、苦難に立ち向かうビジョン
二つの説教から以上の事と関連して、最後に二人の説教を紹介したいと思います。
@田中遵聖牧師
 一人は田中遵聖という牧師であります。小説家の田中小実昌、直木賞作家で、『アメン父』や『ポロポロ』という小説を書いた作家ですが、その田中小実昌のお父さんは牧師でした。この田中遵聖牧師の説教集の中に、近藤定次先生について触れたものがあります。近藤先生は西南学院の神学部の先生で、非常に優秀で戦後間もなくアメリカA留学されました。
 しかしアメリカで病気になり、肝臓癌ですけれども、福岡に帰ってきて九州大学病院で最後の日を過ごされたのです。
 近藤先生は30代はじめくらいでしょうか。その頃の田中牧師は先生の父親ほどの歳だったという事ですけれども、病院にお見舞いされた。
 田中牧師は、その時のことを説教の中で触れておられます。お見舞いして別れるときに、近藤先生がベッドの上から「先生、お帰りですか?」と聞かれる。「そうです」と言われた。
 また来るよという勇気もなく、「そうだ」というだけで私は終りました。
そして体をなでているそこは、私は悲痛な気持ちでした。年老いた人が我が子に先立たれる気持ちがこんなものではないかと思われました。
ところが別れるときにこの病人が、「先生、賛美があがりません」と悲痛な叫びをあげた。
 近藤先生は神学部のホープです。バルト研究で戦後間もなく本を書いた人です。その近藤先生が田中牧師に、「先生、讃美があがりません」。
 この病人と私は宗教によって結ばれた師と弟子の関係ですが、その最後が「讃美があがりません」の叫びは、なんと悲痛なものでしょうか。
 その後に続いて田中先生は、こういうふうに言われます。
 私はすぐ、「讃美はイエスさまがなさるのだ」と申した。彼はハッとした面持ちでした。痛ければ痛い、それだけ。アーメン、ありがとうございますと、それしかないのだ。それが讃美だ、それが人間の方の讃美だ、と私は申し上げたが、しばらくたって別れるときになって彼は、半身起き上がり、「ハハハハ」と大笑いしたのです。
 喜びに満ちて、「先生、嬉しいです」と言って笑顔を見せて、あふるる涙と共に私と別れたのです。最後の時です。
 そういうふうに結ばれております。讃美があがらないならあがらないで、アーメン。分からないなら分からない、痛ければ痛いでアーメン。それが讃美だ。
 私は神学的なコメントを付ける資格も能力もないのですけども、田中先生はここで、キリストの先行する恵みの中で、痛いは痛いといわせられて行くことが喜びだ。そういうことを言っておられるのかなと思ったのであります。
「苦しむ神」は、私達にこういう喜びを与えてくださる、と思わされた説教の一つであります。
A椎名麟三とコールブリュッゲ
 もう一つ紹介したいと思います。これは椎名麟三の小説です。椎名麟三はご承知の通り、戦前は労働運動をして、マルクス主義者というので逮捕されて、獄中から出てきてクリスチャンになった作家です。
 クリスチャンになって間もなく書いた一つが『骸骨』という小説です。小説のストーリーは、啓作という青年が仕事もうまくいかない、恋愛もうまくいかない。そこで自殺しようと思い、伊豆大島の三原山にやってくるというものです。
 火山の火口に投身自殺をしようと思ってやってくるのですが、その山に登るのが一苦労なのです。こんなふうに書いてあります。
 坂は、急どころか、所によっては垂直になっているのではないかとさえ思われるほどだった。滝のように汗が流れた。眼が、今にもくらみそうだった。彼は、このままへたへたとそこへ座り込んでしまいそうだった。
 一生懸命に努力し、汗をかいて、何しに行くのか、自殺をしに行くわけですけども。そしてようやく山頂に登りつきます。火口の所に茶屋がある。そこで彼は、不思議な体験をするのですが、その所を椎名麟三の言葉で読んでみます。
 空は、火山灰に蔽われ,夕暗のようにうす暗かった。すぐ向こうに見える高い火口からは、絶えず雷鳴のような爆発音とともに、空高く火を噴き出し、彼の足もとの地面を震わせていた。広い砂漠は、冷えかたまった溶岩の海だった。それは、荒々しく泡立ったまま、いろいろの形に凝固し、茶屋の近くまで押し寄せていた。
 意外な風景に呆然と立ち尽くした彼は、荒涼という形容がこれほど適切な場所はないだろうという気がした。同時に、死の世界を眼の当たりに見ているような緊張も感じていた。そして二羽の烏がこの上の空に舞っているのを見た時,かえって眼の前の世界の荒涼さが、身に迫ってくるのを覚えた。
それは確実な、歴史と世界の一つの終末であった。
 汗をかきかき、自殺する為に山に登ってきて、この火口のところにたどり着いた彼は、何か
不思議な仕方で、コツンと、生きて居る事の実感をどこかでさせられるのです。そのことを椎名麟三葉こういうふうに書きます。
 そして、この時間と大地の終末に運命づけられながら、生きていなければならないということは、骸骨の芝居のような、何か気狂いめいた滑稽のような気がした。
 同時に、もし神という者がいて、人間をこのようにしか生かさないのであるとしたら、あまりに戯談がひどすぎ、あまりにも戯談が真剣すぎるような気もした。しかもそれが神の愛であるならば、、、。彼は、笑い出した。
 というのであります。自分は結局,骸骨じゃないか。骸骨が生きているということじゃないか。いや、骸骨が生かされているということだ。そうすると、神がいるとしたら、何でおかしなことだと、そういうのでしょう。
 「よろしい。---きっと神様は、ユーモリストなんだろう」とからは力弱く考えた。というのであります。
 椎名麟三は洗礼をうけえ、おめでたいクリスチャンになったというよりも、敢えて自分の生き様の問題性に気がついたのでしょう。そして、人間というのはしょせん骸骨だ。しかしこの骸骨にすぎない者が生かされている。それを敢えて、おかしさとして、彼は見る事ができたのではないでしょうか。
 この椎名麟三の小説ですけれども、実はこれにはネタがあるという事を、私の大学の椎名麟三研究で有名は齊藤末弘先生が教え得くださいました。
 それはカール・バルトの本にあるというのです。何かというと、神学者のカール・バルトが『19世紀のプロテスタント神学」という本を書きましたけれども、その本の中にあるオランダの牧師コールブリュッゲを扱った箇所なのです。
 このコールブリュッゲを椎名麟三は援用したというのです。
 実は私は新名麟三を読むよりも前にこのバルトの本を読んでいましたので、「あ、そうですか」と了解しました。椎名麟三はバルトについて若い時の赤岩栄に聞いており、赤岩栄と一緒に勉強したのです。
 それはともかく、椎名麟三が小説の下敷きにした、バルトの本に出てくるコールブリュッゲの説教とは、復活の説教であります。それはこういう説教です。
 もしも私が死んだら、私はもはや死なないのだが、そして誰がが私の骸骨を見つけたなら、この骸骨はその人に向かってこう説教するだろう。私には目がない。しかし私はあのお方を見る。私はは脳も理性もない。しかし私はあのお方がわかる。私には唇がない。しかし私はあのお方に接吻する。私には従ない。しかし私はあのお方の名を呼ぶすべての人達と共に、あのお方を讃美する。私は硬い骸骨である。しかし私は、あのお方の愛に包まれて、全く柔らかくされ溶かされる。私は町の外に、墓地に横たわっている。しかし私は、パラダイスのただ中にいるのだ。全ての苦しみは過ぎ去った。あのお方の大いなる愛がそうしてくださった。あのお方は私達のために十字架を担い、ゴルゴダへと行かれたのだから。
 これがその復活の説教であります。正に死には死が告げられ、永遠の命が約束される。そこのところから十字架の出来事が「然り!」とされ、十字架の死と苦難に意味が与えられる。それが私達の苦難に向かうビジョンじゃないのか。私達は苦難に向かう時に、たぶん腰がけるでしょう。
 雄々しく向かうかどうか、それは問題ではない。雄々しく向かうどころかいつも弱々しく、打ちのめされるしかないかもしれない。しかしその根源にキリストの十字架と復活の様なメッセージを聞かされるのであります。
 大変つたない話でしたけれども、以上で終わりといたします。ご清聴ありがとうございまし
た。(拍手)
                     (日本キリスト教社会福祉学会・特別講演、2007年6月)
                              (2004年12月”西南の風”  寺園喜基)
(2004年12月”西南の風”  寺園喜基)