「戦後」70年に関する信仰的声明

日本バプテスト連盟第61回定期総会は、「戦後」70年を経て、

主イエスにある信仰にもとづいて以下、平和に関する声明を行う。

1.わたしたちは、侵略戦争に協力した罪責を告白し、自らの戦争責任を覚え続け、継承する。

1940年、日本のキリスト教界全体を戦争遂行体制に組み込む「宗教団体法」が成立し、日本バプテスト連盟の前身・バプテスト西部組合は同東部組合と合同、「日本バプテスト基督教団」を結成し、翌年に組織された日本基督教団に第4部として編入された。以来「敗戦」までの4年余りにわたって、わたしたちは日本基督教団の内部にあって戦争に協力し、アジアの諸教会にも日本への服従を強要した歴史をもつ。

わたしたちは主イエスのみに従うべき信仰と教会を天皇崇拝、国家の絶対化、そして戦争そのものに隷属させた。わたしたちは今、改めてこの罪責を告白する。安倍晋三首相は、「戦後70年談話」において「先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました」「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます」と述べた。

ここではアメリカを中心とした「国際秩序」と戦って自国民の命が失われた事への後悔は表明されていても、アジア各地で日本軍が殺戮した数千万もの人々のことや、「従軍慰安婦」という名の下に性奴隷とされた女性たちをはじめ、アジアの人々の中にその後70年にわたって残されてきた傷跡は無視され、戦争責任の継承は拒否されている。

「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ114口語訳)。わたしたちは平和の主イエスの十字架と復活における赦しと贖い、伴いと導きを信じるがゆえに、自らの罪責に向かい合い、これを負い、継承する。「戦後」70年にあたり、わたしたちは和解の福音を信じ、日本が自らの戦争責任を負い、自らが深く傷つけたアジアの人々との和解を実現していくよう祈り、求め、行動する。

2.「戦後」を生きるわたしたちは、平和憲法を守り、安保法制に反対する。

1946年、日本は戦争の永久放棄を謳う日本国憲法を制定し、翌年これを施行した。日本国憲法は日本が自らと、アジアの人々、そして世界に向けてなされた戦争への深い悔い改めと平和の約束であり、戦争は二度としないという、未来にわたる永久の「終戦」の宣言だった。そしてそれは日本とアジア、そして世界の人々に深く受け入れられた。わたしたちはこの約束と宣言を守る。

日本はこの憲法のもと、戦争を行わずに70年を経た。世界が戦火から解き放たれていない現実の中、日本は日本国憲法によって「戦後」を生き続けてきた。わたしたちは今日も、明日も、「終戦」と「戦後」を生きる。それが平和の主イエスの赦しの前で私たちが選び取る歴史的な悔い改めであり、信仰である。

しかし「戦後70年談話」で安倍首相は「我が国は、…その価値を共有する国々と手を携えて、『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」と語った。それはアメリカとの軍事同盟を強化し、「価値を共有する国々」以外を敵とみなし、「戦争による平和」「平和のための戦争」を肯定し支援し、これに参加して、戦争と戦争経済への依存を強める意思の表示であった。

わたしたちはこれを拒否し、あらゆる戦争を否定する。わたしたちは敵を愛する信仰に生かされ、生きていく。政府与党は、立ち上がった多くの若者たちを含め、夥おびただしい人々が声を嗄からして「否」を叫んだにもかかわらず、安保法制を強行採決した。わたしたちはこれに反対し続ける。

わたしたちはこれに従わない。これを認めない。憲法9条は戦争に支配され縛られたこの世界に差し出された対案であり、わたしたちはその破壊に反対する。わたしたちは、平和のために祈り、発言し、行動する。わたしたちは主イエスにあって平和を創りだす者たちとして立つ。

3.わたしたちは神の国の到来を信じ、真の「終戦」「戦後」をめざし、平和をつくりだす主のからだとして歩む。

日本は「戦後」、日米安全保障条約のもと、軍事経済同盟としてアメリカに追随し、その戦争への資金援助を行ってきた。また湾岸戦争時の1991年ペルシャ湾に掃海部隊を派遣したことを皮切りに、以降米軍の後方支援などを任務として自衛隊の海外派遣をなし崩し的に繰り返してきた。日本の「戦後」は真の戦後ではなかった。だからこそ沖縄は「戦後」ずっと米軍基地に支配されてきた。そこから、ベトナムへ、アフガニスタンへ、イラクへ、世界各地へ米軍機が飛び立ち、破壊と殺戮を行ってきた。基地周辺では米兵による暴行事件が後を絶たない。今このときも辺野古では新しい基地建設が県民の反対意思を無視して推し進められている。

日本はこうしてその「終戦」や「戦後」、「平和」、そして日本国憲法からも沖縄を切り離し、疎外してきた。日本バプテスト連盟も同様に、沖縄を「伝道」の名のもとに切り捨てた歴史をもつ。わたしたちは今改めて「沖縄『国外』伝道に関する総括」(1998)において行った罪責告白を継承し、沖縄と共に真の戦後、終戦を迎える日を目指す。わたしたちは沖縄・辺野古における新基地建設に、日米安全保障条約とそれに基づいて締結・運用されている日米地位協定に、沖縄の、そして全ての軍事基地の存続に、反対する。

今、わたしたちの社会では構造的な貧困問題がかつてないほどに深刻化し、若者たちが困窮孤立状態の中で喘ぎ、憲法25条が保障する生存権が脅かされている。貧困はいのちを踏みにじり、尊厳を剥奪する。貧困は人間を奴隷化し、若者を戦場へ駆り立てる。貧困のあるところに平和はない。今日、貧困はわたしたちの信仰的課題である。

2011311日の東日本大震災と津波は、15,893名の死者と2,567名の行方不明者を出した(警察庁発表、201511月現在)。今も19万人以上が避難生活を続け、8万人を超える人々が仮設住宅での暮らしを余儀なくされている。福島第一原発爆発事故で放出されてきた大量の放射性物質は、自然環境を地球規模で汚染し、人々を被曝させ、健康被害の脅威に晒している。自殺などを含む震災関連死者数は3,331名にのぼり、そのうち最も多い1,914名は福島県下で亡くなった人々の数である(復興庁発表、2015331日現在)。これは福島県下において震災で亡くなった方々の数を300名以上も上回る。しかし政府は改憲を含む戦争体制への移行を優先し、被災者を打ち棄ててきた。棄民のあるところに平和はない。わたしたちは、被災地を覚え、祈り、支援を続ける。わたしたちはすべての原発の再稼動・新設・輸出に反対し、その廃炉を求める。

わたしたちは信仰に生きる。わたしたちは主イエスに従う。戦争を煽り、引き起こし、利用しようとする力が信仰と希望と愛、そして平和を脅かし、闇が一層深まるとも、わたしたちは絶望しない。復活の主イエス、伴い先立ち給う。神の国はすでに主イエスにおいてこの世界にはっきりと姿を現した。それが完成へと向かって育つことを主イエスが示している。世界は真の平和の実現へ、真の終戦へと向かう。それはやがてこの世界に生い茂り、この社会を覆い、戦争は外の暗闇へと追い出される。主イエスご自身がその未来であり、その約束である。その日を信じめざし、わたしたちは主イエスの身体として平和を創りだす歩みを続ける。「戦後」70年にあたり、以上声明する。アァメン、主イエスよ、来たりませ。平和の主イエスよ、来たりませ。

「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」(マルコ430-32口語訳)

20151113

日本バプテスト連盟第61回定期総会