礼拝メッセージ
4月21日「見ないで信じる人は幸いである」
寺園喜基
人間的見方では、死はあきらめの対象でしかありません。しかし神の側から見ると、人間の死はいのちを神が受け取ることです。
ルカによる福音書24:1-36
4月14日「イエスの母」
髙地京子
イエスは十字架の苦しみの頂点にありながら、愛する弟子に母のことを頼まれました。
ヨハネによる福音書19:25-27
寺園喜基
人間的見方では、死はあきらめの対象でしかありません。しかし神の側から見ると、人間の死はいのちを神が受け取ることです。
ルカによる福音書24:1-36
宮井武憲
もはや支配しているのは「死」ではありません。「いのち」です。
ヨハネによる福音書20:11-18
宮井武憲
イエス様の十字架の時、何が終わり、終わることによって何が始まるのでしょうか。
ヨハネによる福音書19章29~30節
原田 寛
私たちには問題や課題があります。だからこそ、心をあわせて、思いをひとつにして臨んでいきましょう。
3月17日原田 寛メッセージ「心をあわせて、思いをひとつにして」
フィリピの信徒への手紙2章1~4節
髙地京子
主が、私の隣人、寄り添うべき人が誰かを示してくださいます。
3月10日髙地京子メッセージ「交わりの喜び」
ヨハネの手紙一1章5~7節
宮井武憲
多くの弟子たちが離れていく中で、ペトロは「あなたは永遠の命を持っておられます」とイエスから離れないことを告白しました。
3月3日宮井武憲メッセージ「わたしたちは離れない」
ヨハネによる福音書6章60~71節
宮井武憲
「この人の目が見えないのは誰の罪ですか」と尋ねる弟子にイエス様は「神のわざが現れるために」と応えられました。
2月25日宮井武憲メッセージ「神のわざが現れるために」
ヨハネによる福音書9章1~12節
寺園喜基
気が小さく短気だったペテロが「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」と最高法院で言えるまでに変化したのは、復活があったからです。
使徒言行録5章27~32節
宮井武憲
弱い私たちの信仰は、イエス様が支えてくださいます。
ヨハネによる福音書16章25~33節
宮井武憲
貧しいものへの施しを自分の計画や自分の手柄と考えた結果、イエスを裏切る者へとユダは変わってしまいました。
ヨハネによる福音書12章1~8節
宮井武憲
迷惑をかけないのではなく、迷惑をかけてかけられる。それが足を洗い合うことではないでしょうか。
ヨハネによる福音書13章12~20節
寺園喜基
「ファリサイ派へのイエスの強い批判は、そのまま私たちにも当てはまります。厳しい言葉ですが、受けとめていきたいです」
「正義の実行と神への愛」 ルカによる福音書11章37~44節
宮井武憲
完ぺきに知らなくても、知っている範囲でイエス様を友人に紹介する。すると後はイエス様が友人に関わってくださいます。
ヨハネによる福音書1章43~51節
宮井武憲
主を指し示して歩むとき、迷い悩むことがあっても必ず目的地にたどりつきます。
ヨハネによる福音書1章29~34節