礼拝メッセージ
10月27日「キリストの愛に生かされて」
宮井武憲
私が信じることが信仰の基準ではありません。イエスさまの与えられる信仰の法則が基準です。
10月20日「キリストの愛に根ざして」
宮井武憲
パウロの跪いて祈る姿に切実な思いが表れています。
寺園喜基
「心の貧しい人たち」とはどんな人たちのことを指すのでしょうか
宮井武憲
自分が投獄されたことさえ、パウロは「福音の前進」ととらえました。
寺園喜基
城西教会が50年続いたという証拠は何でしょうか。
中條智子
この時代、レイプされた女性は被害者なのに正しい人々から石打ちの刑に処せられました
日原広志
「不正な管理人」の例えはイエスの言葉の中で「うな重特上」に相当する指定を受けています
宮井武憲
賛美し、祈り、み言葉を聞いて応答する。私たちはそのようにして「神さまと語り合っているの」です。
宮﨑宗親
ヤコブを殺そうとしたエサウには母親から愛されなかった悲しみが読み取れます。
寺園喜基
「天皇陛下とキリストとどちらが偉いか」と将校から迫られた西南中学一年生の答えは…
宮井武憲
お盆では、私は実家の長男なので仏事を取り仕切らねばなりませんでした。
宮井武憲
「裁く」とは、自分の都合のいいように「分ける」ことです
奥田 悟
不信仰とは、確実には理解できないことを越えて、一歩その先へと進むのを避けたがる態度を言います
原田 賢
教会が50周年を迎えることは大変なことなのですが、「昔のことを思いめぐらすな」と神は語ります。その意味は…
宮井武憲
ときには「一人ぼっち」と思えることがあるかもしれません。でもそこにイエス様が一緒にいてくださる。
髙地京子
「わたしは、世の光」、「あなたがたは世の光」 この言葉には神の謙遜さと愛の深さがあります。
寺園喜基
信仰について悩んでいた神学生時代、河野先生から「お前が信じるんじゃない。神がお前を信じてくださるんだ」と教えられました。
寺園喜基
物乞いをする盲人を前に、人々の取る態度は三つのパターンがあります。無視するか、同情するか、見るか…。
6月16日寺園喜基メッセージ「イエスは先に見られた」
宮井武憲
パウロの語る「正義、信心、信仰、…」は決して「あなたの正義、あなたの信心、あなたの信仰、…」ではありません。
5月26日宮井武憲メッセージ『主イエスの祈りの中で』
寺園喜基
聖霊によって、老人は未来に夢を見、若者は神のことばを預かるのです。
使徒言行録2章17~18節
宮井武憲
イエス様の「わたしを愛しているか」の問いかけは、心を引き裂くような祈りなのです。ヨハネによる福音書21章15-19
宮井武憲
私たちはイエス様を差し置いて、「わたし」にしか立っていなかったのではないか。しかしイエス様はこの教会の歩みを導いてくださるのです。
ローマの信徒への手紙1:16-17
宮﨑宗親
宇宙から見たらバイ菌の大きさにもならない人間を、なぜ神は愛されるのでしょうか。コリントの信徒への手紙一9:19-23
寺園喜基
人間的見方では、死はあきらめの対象でしかありません。しかし神の側から見ると、人間の死はいのちを神が受け取ることです。
ルカによる福音書24:1-36
髙地京子
イエスは十字架の苦しみの頂点にありながら、愛する弟子に母のことを頼まれました。
ヨハネによる福音書19:25-27
寺園喜基
人間的見方では、死はあきらめの対象でしかありません。しかし神の側から見ると、人間の死はいのちを神が受け取ることです。
ルカによる福音書24:1-36
宮井武憲
もはや支配しているのは「死」ではありません。「いのち」です。
ヨハネによる福音書20:11-18
宮井武憲
イエス様の十字架の時、何が終わり、終わることによって何が始まるのでしょうか。
ヨハネによる福音書19章29~30節
原田 寛
私たちには問題や課題があります。だからこそ、心をあわせて、思いをひとつにして臨んでいきましょう。
3月17日原田 寛メッセージ「心をあわせて、思いをひとつにして」
フィリピの信徒への手紙2章1~4節
髙地京子
主が、私の隣人、寄り添うべき人が誰かを示してくださいます。
3月10日髙地京子メッセージ「交わりの喜び」
ヨハネの手紙一1章5~7節
宮井武憲
多くの弟子たちが離れていく中で、ペトロは「あなたは永遠の命を持っておられます」とイエスから離れないことを告白しました。
3月3日宮井武憲メッセージ「わたしたちは離れない」
ヨハネによる福音書6章60~71節
宮井武憲
「この人の目が見えないのは誰の罪ですか」と尋ねる弟子にイエス様は「神のわざが現れるために」と応えられました。
2月25日宮井武憲メッセージ「神のわざが現れるために」
ヨハネによる福音書9章1~12節
寺園喜基
気が小さく短気だったペテロが「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」と最高法院で言えるまでに変化したのは、復活があったからです。
使徒言行録5章27~32節
宮井武憲
弱い私たちの信仰は、イエス様が支えてくださいます。
ヨハネによる福音書16章25~33節
宮井武憲
貧しいものへの施しを自分の計画や自分の手柄と考えた結果、イエスを裏切る者へとユダは変わってしまいました。
ヨハネによる福音書12章1~8節
宮井武憲
迷惑をかけないのではなく、迷惑をかけてかけられる。それが足を洗い合うことではないでしょうか。
ヨハネによる福音書13章12~20節
寺園喜基
「ファリサイ派へのイエスの強い批判は、そのまま私たちにも当てはまります。厳しい言葉ですが、受けとめていきたいです」
「正義の実行と神への愛」 ルカによる福音書11章37~44節
宮井武憲
完ぺきに知らなくても、知っている範囲でイエス様を友人に紹介する。すると後はイエス様が友人に関わってくださいます。
ヨハネによる福音書1章43~51節
宮井武憲
主を指し示して歩むとき、迷い悩むことがあっても必ず目的地にたどりつきます。
ヨハネによる福音書1章29~34節