日本バプテスト 福岡城西キリスト教会

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寺園喜基寄稿シリーズNo.2

このページは当教会の協力牧師である、前西南学院院長 寺園喜基師が、 「西南の風」に掲載された随想から連載します。

遠い日の記憶と共に

寺園喜基 師 

 自分の子供の頃の記憶を、どこまでさかのぼって辿ることができますか。
 私が覚えている最も幼い日の記憶は五歳の時です。
 或る日、家の庭で遊んでいると、飛行機が上空を飛んできました。後から数機続いてくるので、指でさしながら、 一つ二つと数えていました。ところが飛んでくる数がだんだんと増えて、とうとう数え切れません。
 間もなくして、飛行機が空を埋め尽くし、空が真っ暗になったと思ったとき、父が慌てて私を防空壕へ引きずり込みました。 それと同時に多くの爆弾が轟音と共に炸裂しました。
 どのくらいの時間がたったでしょうか。静かになった後で、外に出てみました。家の前の広い道路を、 長い行列が行進していきました。
 それは死者や負傷者をタンカに乗せたり、おぶったり、抱えたりした、すすり泣きの声や呻き声の行列でした。 後で聞くと、町の郊外にある大きな工場が集中的に攻撃され、そこで働いていた人々が大勢、死んだり、 負傷したりしたということで、家の前を通って、病院に運ばれて行ったのでした。他に幼い日の、友達と遊んだ記憶や 小川に落ちた記憶などもありますが、残酷な記憶として戦争の記憶は強く残っています。
 私は戦争に行ったことはありませんから、戦争体験と呼べるかどうかはわかりませんが、この記憶と共にこの日の空爆を 私の戦争体験といいたいと思います。
 そして今日テレビや新聞等で見ますと、これと同様に毎日のように起こっていますが、残酷なことが毎日起こっていますが、 私は自分の戦争体験を風化させるのではなく、むしろ現在と重ね合わせつつ、心に刻みつけています。
 9・11以後、平和な世界が問題のある世界になったとしばしばいわれます。しかし9・11とそれ以後が問題なのではなくて、 それを引き起こしたものが前からあったのであり、それこそが問題だったのではないでしょうか。
 すなわち、私たちの政治、経済、思想、宗教の在り方がすでに根源的に問題だったのだし、それらの在り方において 世界は和解の務めをしてこなかったのです。
 聖書は和解について、神に叛く人間に対して神がキリストの十字架を通して働きかけ、人間が神の方に方向転換するように 仕向けていると語ります。 つまり神は人間をして神と和解せしめる,と言うのです。この聖書の教えから言えることは、この世界における和解の務めとは、 自分が和解の手を差し伸べるから相手も出せということではなく、むしろ相手に働きかけて、相手も喜んで手を差し伸べる ように努力するということです。
 豊かな国々と貧困に喘ぐ国々の、先進国と発展途上国の和解が、こうして起こらねばならないでしょう。
 聖書の語る和解の教えは、今こそ国と国、そして私たちの間で受容され、実現されるべきものではないでしょうか。

(2004年8月”西南の風”  寺園喜基)